【ミニシュナ日記】ミニチュアシュナウザーは悩まない
親子喧嘩の発端
本来ならば時の流れを忘れるほどに穏やかな時間が訪れるはずであった。
いつものようにソファに横たわり、明日の朝ご飯は何だろうとでも考えていれば次第に自分の見えている世界から夢の世界へと離脱していたというのに。
(もっともいくらご飯のことを考えていたところでドックフードがほかのものに変わるわけはないのだが)
しかし今日は夕食を終えてもなお騒がしい声が部屋に響き渡っていた。
どうやら家の人たちがわぁわぁと口論しているようで、思いのほか長引いているらしかった。
人間どもはどうにもくだらない。そんなことに労力を割くよりも睡眠時間を確保したほうが絶対に良いというのに。
何度ソファの上で丸まったところで、彼らの声は突き抜けて耳に入ってくる。
こういう時、僕はなぜ犬なんていう耳の良い動物に生まれてしまったのだろうと後悔する。
自宅警備員の職務を背負う身であるにしてもここまでの聴力は求められていないと思う。
ぶつぶつと不満を言いながら家の人の議論によくよく耳を傾けていると、議論の大枠がつかめてきた。
どうやら片時もスマートフォンの操作を止めない子供に対して親が怒っているようだった。いかにも現代的な家庭問題を象徴する一面である。
親が会話しようと試みても、肝心の子供は液晶画面に心を奪われており建設的な会話が成立しない。食事の献立でもを考えようかと子供に次の日の予定を確認してもまともに返事が来ない。ご飯ができたと声をかけてもなかなか部屋から出てこないのだから困ったものである。
人間の子育てはいつの時代も大変らしい。そうした不満が積み重なり、ついに我慢し続けてきた親の堪忍袋の緒が切れたというわけである。
反論という名の詭弁
ところがこんな親の説教に屈する子供ではない。時に子供というのは非論理的であきれてしまうほどの詭弁でっち上げ、公然とそれを口にするのである。
彼の言い分はこうだった。
「僕は二人存在するんだ、ここに実存する僕とそれからスマホの中に存在する僕だ。」
「このリアルな世界で僕が生きるように、もう一人の僕も生きているのさ。だからもし僕がリアルな世界ばかりにいては、もう一人の僕は孤独のうちに死んでしまう。」
「画面の向こうには平行世界(パラレルワールド)存在していて、そこにもう一人の僕が住んでいるんだ!」
存在とか平行世界とか、実存とかパラレルワールドとか、犬の僕にどれほどの価値があるかもわからない言葉がひたすらに並べられ、彼は親に対して真っ向から反論するのであった。
それは動物が縄張りを主張するために大きな鳴き声を発するのに似ていた。一種の防衛戦略である。
冒険の始まり
普通の親であれば「なに馬鹿なことを言ってるの」と彼の言い分に取り合わなかっただろう。
しかしこの家の人は違った。ある意味では賢い戦略で子供をねじ付しにかかったのである。
彼女は自分のカバンからスマートフォンを取り出し、自らもう一人の子供が存在する平行世界に飛び込んでいったのである。
親にしてみれば未知の世界に限りなく近い場所だ。どんな危険が潜んでいるかもわからなかった。
それでも飛び込んだのはもう一人の子供を救い出すという強い使命観があったからこそである。
これは単に親子の喧嘩と言った軽いものなどではなく、2つの世界を行き来するSF的大冒険なのだ。
犬は犬である
さて、ソファの上で丸くなっていた僕はようやく部屋に戻った静寂に安堵した。
人間たちは何やら手のひらサイズの小さな機械をめぐって大論争を繰り広げていたようだったが、結局のところ犬の僕には無関係な話であった。
コペルニクスが地動説を発見したところで地球が青から赤に変わらないのと同じである。たとえ平行世界が存在したとしても、僕が犬であるということに変わりはなく、家の人が人間であることに変わりない。
部屋には大きな人間と小さな人間が椅子に座っており、それぞれスマートフォンの画面を忙しそうに操作しているだけだった。