シュピーレン

インターネットを遊び場に!というコンセプトで開設したブログ。愛犬ミニチュアシュナウザーとの日々を綴る『ミニシュナ日記』連載中です!ミヒャエル・エンデ、遠藤周作、森見登美彦、夏川草介をこよなく愛する大学生。

【ミニシュナ日記】八風吹けども動ぜず、天辺の月。

 

確かに僕は留守番が苦手だ。それは認める。誰もいない家に一匹取り残されるのはどうにもさみしいものである。なんだか人知れず眠るミロのヴィーナスの腕にでもなった気分だ。

しかし、結局のところその問題は僕自身の問題であって、それは僕が犬であることに帰結するのである。

 

つまり何が言いたいかといえば、ちょうど寝ようとしたときになってわざわざ話しかけてくるなということだ。いつもいつも寂しがってると思うなよである。

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家の人は何かと僕の眠りを妨げる。寝ている僕の耳を引っ張り、足の裏にある肉球をムギュムギュしたり、挙句の果てには「ねー何で寝てるの?」と僕の体を揺さぶってくる始末である。たまったものじゃない。

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▼昨日の話

こうしたやり取りはほぼ毎日あり、昨日も例外ではなかった。しかしいつもとは少し違っていた。家の人はアルコールが入っていたこともあって饒舌であった。何やらパーティから帰ってきたようで、その時に聞いた偉い人のスピーチを何度も僕に話してきた。

 

犬の僕に話したところでまるで意味はなかったが、しかしその話の中に出てきた言葉が印象的であった。

 

▼八風吹けども動ぜず、天辺の月

元は禅の言葉であるらしい。

八風吹けども動ぜず、天辺の月。雪壓(お)せども摧(くだ)け難し、澗底(かんてい)の松。

 

風が吹くと地上の草木はすぐにざわざわと揺れ騒ぐ。天空の雲も風に煽られ形変えて流れ去る。だが天上の月だけはどんな風が吹こうと動ずることなく、何吹く風とばかり無心にして輝く。また、雪が降り積もれば、多くの草木はしおたり、おしつぶされてしまうが、谷あいの厳しい環境の中で生え育った松は大にもびくともせず緑あざやかにして、また無心に松声を吟じている。引用:http://www.jyofukuji.com/10zengo/2004/12.htm>

 

八風とは風の事であるが、この世界ではそんな風が人間の心を揺り動かすのだという。そしてその揺れ動く心を「八風」と呼ぶらしい。それが犬にも適用されるのかどうかは知らない。

 

▼八つの風

 

その一は「(り)」という風であるという。このときは、利益(りえき)という風が吹きまくっているのであるらしい。全てが上手くいっている状態なのだろう。犬にはよくわからない。

 

そのニは「(すい)」という風であるという。このときは、誰もがしゅんとなるときらしい。どんなに頑張っても、なにをやってもうまく行かないのだとか。犬にはよくわからない。たまに家の人が落ち込んでいることを見かけるが、僕は容赦なはしゃぎ回る。いつもの家の人になってほしいからかもしれない。

 

その三は「(き)」という風であるという。他人から、かげで非難・攻撃されるときであるらしい。犬にはよくわからない。そんな陰で攻撃されていても、散歩とご飯、それからふかふかのソファがあれば問題ない。

 

その四は「(よ)」という風であるという。ほまれあること、かげでほめてくれることであるらしい。犬にはよくわからない。面と向かって言われたとしてもわからないのだから、陰で言われたとて何も問題がない。

 

その五は「(しょう)」という風であるという。これは、目の前でほめられることだから、お世辞が入っているかもしれないらしい。犬にはよくわからない。そもそも褒められることなんてしないと思う。

 

その六は「(き)」という風であるという。譏は、そしることであるらしい。それも、面と向かってそしってくれる。聞けば腹は立つがよく考えると心底からいってくれている。犬にはよくわからない。ちょっといたずらすると家の人に怒られるが、そこに深い意味などない気がする。

 

その七は「」という風であるという。すなわち逆境のことであるらしい。犬にはよくわからない。睡眠を邪魔されることは苦痛であるからこれに該当するのかもしれないがどうなのだろう。

 

その八は「」という風であるという。すなわち順境のことであるらしい。犬にはよくわからない。家に帰ってきてからは楽というより平和←そういうことではないのかもしれないが(笑)。

 

▼人間は格言が好きらしい

結局のところ、犬である僕にはなんだかよくわからない言葉であったが、家の人はずいぶん感銘を受けたようで僕に一通り話してからノートに記録していた。最も酔いが回っている状態で書いていたのでまともに記されているとは思えないが。

 

しかしどうやら人間は格言や名言に弱いらしい。誰かが残した文章や話したセリフ、歌などに気に入ったものがあればすぐに飛びつく。それらの言葉は確かに素晴らしいのかもしれない。わからない。何しろ犬であるのだから。

 

だが、言葉には重さがあることを忘れている人間も多いように見受けられる。軽い言葉はそれこそ風が吹けばどこかへ簡単に飛ばされてしまう。

 

何が言いたいかといえば、言葉の重みは内容以上に用いる人の行動に伴ということだ。犬の分際で言うことはないのかもしれないが、あまりに軽々しく言葉を扱う人間が多いのには辟易する。

 

 

どうか家の人にはわかってもらいたいと思う。