シュピーレン

インターネットを遊び場に!というコンセプトで開設したブログ。愛犬ミニチュアシュナウザーとの日々を綴る『ミニシュナ日記』連載中です!ミヒャエル・エンデ、遠藤周作、森見登美彦、夏川草介をこよなく愛する大学生。

【他人の行為が自分の事のように恥ずかしい!】と感じる原因とは?

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こうした悩みを長い間抱えていたのですが、同じような人っていませんか?まるで自分がそれらを受けているように動揺、委縮して羞恥心を感じる現象。調べてみると、こうした感覚を持っているが10人に1人程度存在しているみたいですね。

 

多分僕もそのうちの一人だろうと最近気が付きました。というかみんなそーなんじゃないの?って思っていたので、そうじゃないという事実を知って軽くショックを受けています…。

 

 

 

具体的な場面を見てみるとよくわかると思うので、実際に僕が見ていて辛かった場面をいくつか書きだしてみます。

 

1、勘違いから始まる揉め事

当時阪神で活躍していた城島選手が、新井選手の不用意な走塁に怒っているシーン。動画を見てもらえればわかりますが、怒った後に周りのチームメイトからなだめられている城島選手を見ているととても辛くなってしまうんです。

 

 


城島がチームメイトにマジギレして突き飛ばす プロ野

 

 

2、バラエティ番組でのどっきり企画

例えば2011~2015年に放送されていた乃木坂46の冠バラエティ「乃木坂ってどこ」という番組の中でのどっきりで、日村さんに食事に誘われたらどうするか?という企画がありました。白石麻衣さん・松村沙友里さん・高山一実さんの三人がターゲットになったのですが、もう心の中で「うわぁぁぁ」ってなってしまって見れませんでした(笑)。

 


乃木坂46 白石麻衣 松村沙友理 高山一実 ドッキリ もしもバナナマン日村勇紀に食事に誘われたら

 

 

 

“誰かが恥をかきそうな場面”になると、いたたまれなくて見てられなくなってしまうんです。これまでは、周りの人もこうした感覚に耐えて生きているのだと思っていました。だから、「みんなすごいな~、強いな~」って尊敬していたんです。

 

ところが最近になって偶然共感性羞恥という言葉を知りました。数年前にマツコ&有吉の怒り新党という番組でもこの言葉が紹介されていたみたいで、次のような説明がありました。 

 

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今まで自分が弱くて耐えられないだけだと思っていたことが、実は心理学の用語として定義されるような症状として研究されていたんですね。驚きです。

 

共感性羞恥について

共感性羞恥と呼ばれている感覚は、1987年にミュラーがemepathic embarrassmentと定義したものです。

直訳としては別に間違っていないらしいのですが、最新の心理学界を考慮すると共感性羞恥という言葉はあまり最適とは言えないようです。

他者の恥ずかしい行為を見て、恥ずかしくなる羞恥感 情を MiUer (1987)は 、共感性を媒介とする羞恥感 として位置付け、共感的羞恥(empathic  embarrassment )と名付けた。しかし、この羞恥感情が共感性と関連があ るかどうかは未だ確認されていない 。共感的羞恥が共感性を媒介とし発生するものかどうか明らかではない。

https://ci.nii.ac.jp/els/contents110008114010.pdf?id=ART0009639066

 

この論文を書いた桑原教授は

共感性羞恥」ではなく「観察者羞恥」という表現の方が正しいのではないか?

と主張しているようです。

 

 

観察者羞恥とは?

共感性羞恥との違いは、恥ずかしさを共感しているようで、実際には相手は全く羞恥心を抱いていなくて、自分だけが恥を感じていだけかもしれない可能性もあるところです。

 

つまり、

 

相手が恥ずかしいと思っていてもいなくても、自分が恥ずかしいと思うことはあるし、もし相手が恥ずかしさを感じていないのなら「共感性」という言葉はふさわしくないよね

 

と言ったところでしょうか。

 

「観察者羞恥」について詳しくまとめられているサイトがあったので気になる方は参考にしてみてください!

dream.navi.ryukyu